備中松山城。

 山頂に建っている。麓から頂上まで四里の道のりで、最も高い天守閣を持つ山城である。勾配のきつい道は幅が狭く曲がりくねって、硬い岩肌や太い木の根っ子に阻まれている。周囲は高い木々がうっそうと茂り、断崖絶壁を覆い隠し容易に山頂に辿り着けない。

 江戸の初期めまぐるしく城主が交代した。後継者がいないため、お家断絶や転封によるものである。戦国期も幾度も城主が代わっている。それはこの城が備中制覇のため重要な意味を持っていたためだった。

 三村氏(戦国時代)、小堀氏、水谷氏、石川氏と続き、文久元年、板倉家に落ち着いている。七代藩主板倉勝静も養子である。

 城下町は、碁盤の目のように整い、南北に細長く伸び、西側を大川がゆっくり流れている。戦国の名残を留め、弓の町、鉄砲町、鍛冶町などの町屋が並ぶ。

 源造と孫娘のつつじは、鍛冶町の片隅で暮らしていた。

 源造の仕事は鍛冶屋で、農具を専門としていた。腕はよい。良いばかりか時には田畑に出向いて、鍬の柄など気軽に直すので喜ばれた。

 鍛冶屋の朝は早い。源造は起きると、冷たい水で顔を洗う。手拭を固くしぼって、着物を半開きにして首から胸にかけて強く擦る。それが仕事を始める身支度だった。

 家屋の裏に出て畑の前で空を見上げた。城の頂からゆっくり明けていくのがわかる。

 ああ、今日も好い天気だ。だが城を見上げる源造の気持ちは複雑だった。倅の要次郎の顔が浮かんだが、頭をふってすぐ消した。

 ふいごに力を入れて火を熾す。炭に火がつき赤々と炎が立ちあがった。それを見ていると、源造の気持ちが少しずつ高揚してくる。納屋の壁に立て掛けてある鍬や鎌を修理し、その後は新しいものを作りたい。

 炎の中から鍬の欠けた鋼をとりだし、真っ赤に変わった部分をめがけ金敷の上で打ちつける。力を入れる。火花がとび散った。 「じいちゃん」

 前を見ると、つつじが土間に立っている。

「おう、早いのう。もう起きたか。朝飯たべたか」

「うん、おにぎり一つと、おこうこ三つ」

 源造が朝早く、つつじのために握ったむすびを、つつじはいつも一人で食べる。みそ汁を温めなおすにはまだ早い。源造が六歳のつつじにしてやれることはそれだけだった。

 つつじは目を擦り、それでも着物の衿をかき合わせながら、土間に坐った。目元を低くして、源造の打つ手をじっと見つめた。つつじは不思議でならない。かたい固まりが真っ赤になり、平になり、曲がり、鋭角になると目が離せない。ふいごが押され赤い炎が立ち上がる度、あの中を覗いてみたいと思う。じいちゃんの傍に行くと危ないと怒るけど、いつかあれを思い切り押してみたい。

「つつじ、外で遊んでこい。いい天気じゃ。小川の水も冷たくなかろう」

 源造は打つ手を止めず、つつじに言う。

「うん、外へ行くよ」

 つつじは元気よく戸口からでていった。けれど源造はつつじがすぐ戻ってくることを知っていた。いつも源造のする仕事をじっと見ている。時の経つのも忘れたように。つつじにとって、それがどんな遊びより好きなのだ、と少しずつわかってきた。

 つつじは父の要次郎に似て整ったきれいな顔をしている。どんな娘になるか楽しみにしていたのに鍛冶屋のような男の仕事に興味を持つとは。源造はその趣に苦笑している。

 戻ってきたつつじをみて、ああ、ますます要次郎に似てきたと思えた。それが源造には何か罪深いように思われた。源造も男にしては整った顔をしている。美形も困りものぞ。

 声がした。戸口の側に隣家のつるさんが、大根と人参の束をもって立っている。

「源さん、ようけ穫れたので、食べておくれ」

 いつも農具の手入れのついでに、ちょっとしたことを手伝うのでこうして持って来てくれる。つるさんは礼を言う源造と、土間に坐っているつつじに笑顔をみせて出ていった。

「つつじそこの野菜、台所に持っていっておくれ」

 つつじは人参と大根の束を抱え、二回に分けて運んでいった。

 一日の仕事を終えた。どっと疲れが出る。朝はまだまだ元気だと気持ちが張っていたが、やはり歳には勝てない。こうして一日一日老いていくのか......。源造は額の汗を拭いながら土間の片隅に行き座った。煙草盆を引き寄せ、煙管を出し、刻み煙草を詰め込んだ。火をつけると思いきり吸った。ゆっくりと筋肉がほぐれていく。

 さてと、つつじは何処かな、外で遊んでいるのか。夕餉の支度を―――と立ち上がった。

 鍛冶場を出ると隣に、六畳と四畳半の部屋と三坪ほどの土間がある。源造は土間の隅の水瓶から柄杓で水をくみ桶に入れた。上がり端に座り足を入れる。火照った足が快い。それを手拭でふいて板の間に上がった。流し台をのぞく。流し台横に、洗った大根と人参があり、二つに切って笊に並べてあった。どうやらつつじがしたらしい。

「じいちゃん、こっち、こっち」

 つつじが着物にたすきがけで、手には火吹き竹をもっている。

「つつじ何だ。勇ましいかっこうをして」

 源造は風呂場に連れていかれた。そこには湯気がたち、窓から煙が入っている。風呂が沸いていた。

「つつじが、たてたのか」

 つつじは、こくんと頭をさげた。何ってことだ。外から水を汲み、釜に溜め、火を熾す。それだけでも一仕事だ。大人でも手に余る。源造も疲れた体を打って、風呂をたてることが出来なくて何日も過ごしていた。つつじが風呂釜の前に足台を置き、桶に汲んだ水を持ち上げ入れる。何度も川へ通うのが目に浮かんだ。それに火だ。いったいいつ火を使う事を覚えたのか。

「毎日、少しずつ水を溜めたよ」

 火の熾しかたは源造の手元をみて覚えたようだ。

 二人は久しぶりに、ゆっくり風呂に入った。源造がつつじの背中を、つつじが源造の背中を流す。最後に源造は湯船の中で膝につつじを座らせた。つつじの背中がすべすべして気持ちがいい。細い腕はまだ幼かった。源造はおもいきりつつじを胸の中に抱き寄せた。

 二人は一つの布団で抱き合って眠る。つつじは源造の胸の中にいるときがいちばん幸せだった。

 今日は風呂上がりで温かく、いっそうそう思う。源造はその気持ちが分るのか、布団の上からつつじの背中をぽんぽんと叩く。つつじはそっと源造の顎のあたりに手を伸ばし、チクチクする髭の間から鼻先に触れ眠った。

 夜半、源造は胸が苦しく起きあがった。つつじは眠っている。思わず前屈みに胸をおさえた。「治まれ! 治まれ!」源造は唱える。大きく深呼吸をした。何度も繰りかえす。やがて少しずつ治まっていった。

 夜が明けた。源造は寝不足の目を擦り立ち上がりつつじを見る。安らかな寝息に安堵した。

 四~五日過ぎた。

「つつじ、今日はこの前の山を登って向うの村へ行くぞ。早く出かけると夕暮までに着くから早出じゃ」

 源造はむすびを握って風呂敷に包んで、それをつつじに背負わせた。背負子を担ぎ、脚絆をつける。つつじには作りたてのわら草履を履かせた。赤い鼻緒が可愛かった。

 子供にしてはつつじの脚は元気そのものだった。野や山は芽を吹き、田畑にはれんげ草が咲き乱れている。その間をひょいひょいと歩く。この調子では夕方にことの家に着くだろう。

 ことは嫁の雪枝の姉で、雪枝の葬儀以来会っていない。

 何と切り出してよいものか。

 葬儀の日、ことは泣いて要次郎を責めた。源造はなす術もなく黙って聞いているだけだった。それを思うと気が重い。つつじは手のかからない良い子だ。ずっと育てていくつもりだったが、老い先短い身にも限りがある。そのうち要次郎も城から降りてくるだろう......とでも言えばよいのか。

 だが要次郎が城から戻って来る宛などない。要次郎の身に何が起こっているのか。源造は仕事も手につかずうろたえ、不安な日々を幾日も過ごした。やがてそれは怒りへと変わっていった。

 あの日、百姓屋に出向いて行くことがなければ、要次郎に男気がなければと、詮無いこと何度思ったことか。

 修理した鍬をもって要次郎が訪ねた付近は山奥で、水が美味しくその水は身体によいと昔から伝えられている場所だった。

 あの日要次郎が家主と鍬の出来具合を試している時、畦道の向こうに立派な籠が通りかかった。一目で武家のものと思える籠で、水の在所を尋ねられた。見ると籠の中の女性が苦しんでいる。周りの者は慌て介抱するが、困り果てていた。見かねて要次郎も手助けをした。女性は農家の畳敷きを借りて休んだ。小川のせせらぎが聞こえ、ゆっくり風が吹きぬける場で、差し出した水を飲むと、女性は徐々に元気を取り戻した。そのことが余程気に入られたのか、付き人に頼まれたのか要次郎は城に上がっていった。そのまま要次郎は降りてくることはなかった。

 音沙汰もなかった。

 源造は困り果てた。町の与力にも様子を尋ねた。庄屋にも駆け込み相談した。だが何ら手がかりもなかった。源造はそれでも何度も足を運んだが、知らぬ、存ぜぬの一点張りで、最後には源造を疎ましくい思う様子だった。

 鍛冶屋仲間は要次郎の男前を揶揄して、「姫様に気に入られたのでは仕方なかろう」と言い、庄屋は「城のためじゃ、諦めろ」とぽつりと言った。

 まるで囲われ者になった様な言い草だった。

 昔から城主が度々交代した。今の殿様も跡継ぎがない。だが姫様が居られたのだ。その姫様がお手を付けられたというのか。要次郎はそんな男ではない。断じてない。要次郎を信じる一方で源造は悶々としていた。出口のない怒りも雪枝の嘆き悲しむ様子を見ていると萎えていた。

 雪枝は次第に物を口にしなくなり、言葉少なくなって、まったく喋らなくなり、床に伏す日がつづいた。それに追い打ちを掛けるように城から使者が来た。源造が留守にした日で、戻ってみると土間に金銀が散っていた。雪枝が投げ捨てたものだと思うと源造は辛かった。

「じいちゃん」

 つつじは後をふり向きながら、山道を元気よく登っていく。頂上に近づいた。

「つつじ、ほらこの背負子に乗ってみな」

 源造は背負子に座らせ前に向かせる。一歩いっぽ登る。

「うわあ、高い! じいちゃん遠くがよく見えるよ。広いなあ」

 つつじの声が背中できこえる。

「そうや、つつじ、この山や川の向こうに村や城があって、沢山の人が住んどるぞ」

「もっと、もっと見たい」

 つつじは好奇心いっぱいに身を乗り出している。つつじの目には何が見えているのだろうか。つつじの声を耳にしながら、二人でこうして外に出たことは無かったなと、源造の胸は切なかった。

「急ごうぞ、夕方はすぐ来るからのう。帰りに......」

 いっぱい見るといいと言かけて、帰りはつつじを背負うこともないのだと、源造は自分に言いきかせた。

 途中で枯れ木を集め束ね、背負子にくくりつけた。

 ことの家へのせめてもの土産だった。

 ことの在所は村の端にあった。広い田畑をもつが、二人の息子はまだ幼く、働き手が少ないのか荒れていた。それでも夫の勘太は働き者で、今も畑に出ているのか姿が見えなかった。庭先で遊んでいる男の子二人と、ことが源造達を迎えてくれた。

「まあ、つつじ大きくなって。よく来たね」

 ことは目を見張った。つつじは恥ずかしいのか源造の後ろに隠れている。この人が母さんの姉と言われても、つつじには母の面影がない。

 一夜明け、源造はことの在所を後にした。後ろからつつじが付いてくる。昨夜のことの怒りは、源造の気持ちを重く暗くした。勘太は黙って側で聞いていたが、今の生活につつじが重荷になることは、身体全体に滲み出ていた。

 ことの怒りの中につつじは任せられない。つつじが悲しむのが目に見えている。

 帰り道は登り坂になり、やがて広い峰に出る。ちょうど向かいの山頂に見えるのが山城だった。

 つつじ、あの城を見よ、高いのう。あの高い所によく城を建てたものぞ。これでは敵も攻めて来れまい。源造がたとえ兵を持つ身分でも敵うまい。

 昨夜のことの言葉が耳に残る。

―なぜ要次郎は城から降りてこない。たとえ殺されようと。なぜ雪枝は池に身を投げた。つつじのために生きようとしなかった―

 源造はそびえ立つ城を見上げて睨みつけた。敵に攻められなくとも、城主は替わる。何代も何代も。

 城はびくりともせず見下ろしている。

「つつじ、さあ、もう一度背負子に乗りな。今度は下るぞ」

「うん、お家に帰るんだね」

 つつじは源造の背負子に乗る。

 おお、と源造は驚く。昨日より一段と重くなった気がした。否、源造が衰えたのかもしれない。

「じいちゃん、高い、高い、高いね」

 つつじは背中で立ちあがり、今にも飛びそうな勢いで前を見ている。

 城ではない。川向こうに広がる、田畑や村だった。

 それは陽の光をうけきらきら輝いていた。


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