子供の頃、山陰地方のある町で過ごした。

 小さな城下町で、町には主だった産業はなく、家の周りで家内工業をよく目にした。

 昭和三十年代の頃で、私は小学三年生だった。

 うどん工場、綿の打ち直し業、畳の張替え、豆腐屋、精米所、鍋や薬缶を修理するおじさんが回ってきていた。夕方にはアサリ売りの小父さんの声が聞こえた。

 工場の奥から聞こえていた機械の音や、綿埃、油で汚れた前掛けで働く人の光る顔、アサリ売りの小父さんの妙に高い声を、何かの時に思い出す。

 なかでもガラス工場の事は忘れる事ができない。

 母が結核で亡なって間もない頃だった。私も感染していて学校へ行くことが出来ず、家で過ごしていた。辛く悲しい日々だった。

 父が仕事に、姉と兄が学校に行った後、私は母のいない寂しさを紛らわすため、窓側に立って外を見て過ごした。出かけることはなかった。出ても好奇の目で見られるのが嫌だった。ただ週に一回、ストレプトマイシン(結核の治療剤)の注射を受けるために、1人で病院に通った。

 窓の下には、木造の倉庫を改造したガラス工場があった。

 ポンプの流し横の広場に、朝はやく、トラックが山積みにしたガラスを音をたてて降ろす。汚れ、壊れたラムネ瓶、化粧瓶、形のわからなくなった破片が入り混じっていた。それを、姉さん被りをした小母さんがザルをもって拾い上げ、流しの前で鎚を使って小さく砕く。ポンプの水をくみあげ洗い、倉庫の奥にある溶鉱炉に運ぶ。その一連の作業を、飽きもせず見ていた。

 便所は階下のガラス工場の横にあった。

 ある日、私が用を済ませて帰る時、小母さんが手招きした。小母さんは、割烹前掛のポケットから、ビー玉と小さくて可愛い化粧の小瓶を取り出し、私の手に載せてくれた。それは壊れたラムネ瓶から取り出し物で、化粧瓶はきれいに洗われていた。渡してくれる時、小母さんの傷だらけの指が痛々しかった事を覚えている。

 私はそれを、窓辺に並べ太陽に透かしたりして遊んだ。おばさんが手渡ながら話しかけくれる事がうれしく、用も無いのに階下に行ったものだ。 ある日、小母さんの姿が見えなかった。

 代わりに、首に手拭いを巻いたボサボサ頭の厳つい小父さんが出てきた。小母さんと同じようにザルにガラスの破片を入れ、ガッガッと洗った。乱暴な洗い方は少しもきれいではなかった。

 次の日その次の日も、おばさんの姿は見えなかった。

 私は便所の帰り、工場の中を覗いて見ようかと思ったけど、怖くてできなかった。

 そんなある日、粗い造の板壁に節穴を見つけた。

 そっと中を覗いた。薄暗い奥に、赤々と燃える溶鉱炉が在り、そばで上半身裸の小父さんが二人作業をしていた。長く細い管を、赤くドロドロと渦巻く溶液に突き入れ、巻き取った液を高く持ち上げ、管から息を吹き込む。管の先は、風船玉のようにふくれた。それを形づくり側のバケツにつける。水が弾けてその中からラムネ瓶や瓢箪の形ができ上がった。小父さんの背中や顔は、炎に照らされテカテカと光って恐かった。

 けれど私は便所から帰る度、節穴を覗いた。

 おばさんの姿を探しながら、いつしかあの管の先を追っていた。

 ある日、節穴を覗いていたときだった。あの厳つい小父さんが、作業をやめてこちらにやってくる。私は見つかったのかとドキドキした。目の前には小さな部屋があり、小父さんはそこに座り,煙草を吸った。それから側の小箱を引き寄せ蓋を開け、注射器をとりだした。腕を前に突き出し針をたてる。小父さんが声を出し顔が歪んだように思えて体が震えた。

 それから、しばらく恐くて覗くことができなかった。

 秋風が吹く頃、ガラスを載せたトラックの回数が減り、やがて来なくなった。工場は閉鎖された。整地されたあちこちにガラスの破片が残った。それを見て小母さんを想った。

 空き地は荒れていった。冬が過ぎ、やがてガラスの破片は草に埋もれていった。

 大人になって、あの注射はヒロポンという麻薬であることを知った。戦後間もない頃、過酷な仕事を強いられた人達が使っていたことだった。あの頃世間は落ち着いていず、溶鉱炉で働く人はみな厳しかったのだ。溶鉱炉の火を守るため、夜も寝ないで働いて、あの注射で、辛うじて身体を保てたのだ。小母さんを雇う余裕など無かったのだ。当時は悲しいのは私だけと思っていた。

 都会に出て働いていた私は、ある帰省の日、ガラス工場跡が、道路計画で変わる事を知った。むしょうに訪ねたくなり出かけた。

 辺りはすっかり変わっていた、住宅が立ち並び、どの家も軒下に洗濯物が揺れていた。庭先に三輪車や、ままごとのスコップが転んでいた。諦めきれず、うろうろと歩き回った。と、苔むした溝が見つかった。あの小母さが使っていた所だ。中をのぞくと、キラと光るガラス片が見えた。あれはもしかして工場から流れ出た物かもしれない。そうおもうと、私は立ち去ることができず、じっと見続けていた。


コメント

真美

著者の幼い頃のことを綴ったと思えるこの作品、学校に行けず寂しい思いをしている少女の唯一の光る思い出がガラス工場だったのだろう。
きれいなガラス瓶とビー玉をくれた小母さんの優しさが、この仕草によく現れている。
その優しい小母さんがいなくなった寂しさと、代わりに仕事に来た小父さんのがさつさとヒロポンを打つ姿が対照的で、より小母さんがいなくなったことに対する切なさが伝わってくる。
後年、自分のふるさとに行った主人公が、すっかり変わった景色の中に、ガラス工場の跡を見る姿に心を打たれた。

2019.01.17