買い物の帰る道すがらに桜の名勝がある。名勝と言っても私が勝手につけたもので、たいていの人は墓地の中にあるので素通りしてしまう。

 多くの暮石を囲むように桜の木は十本もあるだろうか。どの木も老いていて、花の盛りは過ぎているのに、春になると見事な花をつける。木々の枝という枝が花をつけ、隣の枝と重なり薄いピンクのベールをつくる。それはまるで雲海のようで、くらくらする。妖気が漂っている気がする。作家の名前は忘れたが、桜の花が美しいのは、その木の根元に累々と横たわっている屍の養分を吸っているからだ、と書いていたが本当かも知れない。

 四月の始め、満開の日を選んで買い物にでかけた。

 まさに満開。私は苔生した階段を上がり、木々を見上げた。辺りはしんとしていて、空気さえ止まっている気がする。少し離れたところに箒を持った墓守らしい男の人がいた。花弁の間から青空がのぞいて辺りを包む。奇麗だ。酔いそうだった。風も無いのに花びらが、ひらりと散った。

 と、その時、向こうの桜の木の傍に、車椅子に乗ってる人が見えた。その人がゆっくり立ち上がり、歩いた。幹に手を触れ空を見上げた。

 私は 幻をみているようで目を瞬きした。

「見ましたね。み・・・え・・・た・・・でしょう」

 いつの間に来たのか墓守の人がいた。

「時々、見える人がいるのですよ」

 見えるのです。桜の木に深い関わりがある人が・・・見えるのです、と墓守の人は言う。一瞬、夢の中にいるようだった。どのくらい過ぎたろう、桜に思い入れなど私にはありませんよ、と言いかけた時、言葉を遮るように、風が出て桜の枝が揺れた。その間から遠くのマンションが見えた。ベランダで車椅子に乗った人がぼんやり・・・?見える。また瞬きをする。

 ああ・・・和気さん。思わず呼んでいた。

 和気さんは私が訪問看護の仕事をしていた頃、担当していた男性だ。

 マンションの四階に独りで住んでいた和気さん。確か八十歳半ばだったと思う。脳梗塞の後遺症で下半身が麻痺し、身体は動かない。近くに娘さんが住んでいたが、勤めがあって忙しく、滅多に姿を見る事はなかった。ダイニングのテーブルの端に置いてあるノートだけが、連絡の手段だった。三つある部屋の窓際の部屋で、いつも静かに寝ている。和気さんは寡黙だった。

 和気さんの朝食は、菓子パンと紙パック入りの飲み物だけの、質素ものだった。

朝食の後、私はバイタルを測る。体を拭き 服を着替え、車椅子に乗りベランダで過ごしてもらう。これが私の仕事だった。

 手を動かしながら、私は話かけるのだけど、言葉がなく、気が重かった。ただ、ベランダに出てる時だけ口元がほころぶ。和気さんの見つめる向こうには、私が好きな桜の名勝がある。担当を変わって間もなかったので、前任者の記録をみると、暖かい日、特に春にはベランダに出してあげて下さい。桜を観るのを楽しみにしておられます、とある。こうして何年も過ごされたのだ。とひとりごちた。

 ある日、珍しく和気さんが天井につづく壁を見ながら話し、と言うより語った。壁にはまるで年表のように縦に筋目が付いている。あれが小学入学の年、次に高校、生意気だったなあ〜 戦争・・・、あれは商社マンで海外に行っていた年。筋目は年を重ねる。九十歳近い節目では和気さんの言葉は無かった。

 その日、ベランダで、和気さんの足浴をしながら、私はいつも通る道の桜が咲き始めた話をした。それがどんなに美しいかと。すると和気さんは目を細め、遠くの桜の木々を見るように「桜の下で、戦死した兄と、戦災で亡くなった母と、別れた」と呟く。消えるような声だった。

 ふいに、私は和気さんを来週、桜を見せに連れ出そうと思った。

 実行するには、問題がある。仕事を全部キャンセルしなければならないし、何かあった時の責任もある。後からクレームも来るだろう。でも和気さんには残された時間は無いのだ。私は和気さんと約束をした。

 けれど次の週、あいにく朝から雨だった。しかたがなく中止した。

 五ヶ月後、和気さんは亡くなった。

 一週間後、娘さんから手紙が届いた。父のベッドの下にメモがありました。桜を見に行ったと。仕事で忙しく父のことが気になりながらも、桜を見に連れ出すことができなかった。とお礼が述べられていた。

 

 和気さん、桜を見に来たのですね。私はそう呟き、もう一度辺りを見る。が、何も見えなかった。いつの間にか墓守の人の姿もなかった。

 私はまた、目を瞬いた。二度、三度。

 


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