昭和三十年代の初め、高梁たかはし町はまだ蒸気機関車が走っていた。やがて高梁町は合併されて市となり、蒸気機関車もディーゼル車に変わっていったことを記憶している。
 当時私は小学校三年生で、母の病気のため、遠い村から引っ越してきたばかりだった。
 初めて見る蒸気機関車は、とてつもない大きさで圧倒された。車体の前に立つと、見上げる岩のように高く、車輪は分厚く黒々としていて、その向こうにある鉄の壁は細く太く入り組んでいて恐ろしかった。シュッシュッ!!と蒸気が噴き出すと、思わず飛び退き耳を押さえた。汽笛が鳴ると、地が震え辺りが引っくり返るのではないかと、思えたものだった。
 その汽車を、五歳の妹の千代が、毎日見に行っていたことを後で知った。
 私の家から駅までは、路地裏の細い道を通り、民家の軒先をくぐりぬけ、溝川沿いに商店街へ抜ける。駅前の広い通りまでゴタゴタしてて、かなり距離があるように思えたが、大人になってそこを訪ねてみると、それほどの長い道のりではなかった。
 小さな畑を背に混み入った住宅の裏手。五軒長屋の一番奥が、私達の引越し先だった。
 玄関横の四畳半の部屋に母は寝ていた。その母を中学生の姉が看て、父は近くの製材所に働きに出ていた。母の病気は結核で、すでに手遅れだった。一年後には細く小さくなって亡くなった。悲しみは深く、私達は途方にくれた。けれど、悲しんでばかりいられなかった。母の病気治療のため、すべての家財を売り払って、家には余裕はなかった。姉は進学を諦めて、近くの市場へ働きに出た。中学生になったばかりの兄は、寂しさのあまり友達とたむろして、夜遅くまで家に帰らなかった。
 私と妹は家に取り残された。仏壇の前にはまだ白い布に包まれた骨箱が置かれていて、その向こうに二枚の写真があった。一枚は母の若い頃だろう、ふっくらと太って女学生のような着物とはかま姿だった。もう一枚は骨箱をひざに抱えた父を中心にとった家族の写真。後列に姉と兄と私が立ち並び、妹は父の横に立ち、小さな体を骨箱に寄り掛けている。みんな遠くを見ていて、とても寂しそうに見える。どうしてこんな写真を撮ったのだろう。私はむしょうに腹が立って、いつも仏壇の傍を通る時は、目を背けたり、近づかないようにした。
 がらんとした家に帰るのが嫌で、放課後友達と遅くまで遊んだり、貸し本屋に立ち寄り時間を過ごした。
 千代はどこかへ遊びに出ていたが、気にもとめなかった。それでも夕方になると、さすがに気になって探し呼び戻した。千代は誰もいない道路で一人で遊んでいたり、友達の家の庭先で、ぼんやりと佇んでいることもあった。近所の家々は、夕餉の支度に慌ただしい時間なのに、その家の台所に上り込もうとしている時など、強引に連れ戻した。
 姉が帰宅するまで時間があり、千代の相手をしなければならなかった。千代は遊び疲れ、お腹を空かしぐずついた。私は塗り絵や切り絵をしたりして機嫌をとった。
 特に雨の日は私を困らせた。じっとしてなくて、外へ出たがった。塗り絵に飽き、当時人気のあった少女雑誌の中の、目の大きな挿し絵が私は気に入っていて、描いてやったがそれでも喜ばない。汽車の絵を描いて欲しいとねだった。描いてほしいと言われても、どう描いていいのか分からず困りはてた。押し入れの中から兄の少年雑誌を取り出し、見よう見まねで描いたものの、私は途中で止めた。汽車は恐ろしいばかりでなく、苦い思いがあった。
 母の薬を取りに行く病院が、川沿いの坂の上にあって、その横を汽車が通っている。汽車が鉄橋を渡る度、汽笛を鳴らす。その音は待合室まで響き、耳を塞ぎ、ふるえながら小さくなっている私を、まわりの人はクスクス笑って見やる。千代はそんな私の気持ちなどかまわず絵をねだった。やがてその中から一番気に入った汽車の一枚を、父に買ってもらったピンクのビニール製のバックの中に、大切にしまい、抱えて眠った。
 それから毎日せがまれているうちに、私は少しづつ上手になった。時にはお話を付けたりして楽しみ、私も千代も少しだけ淋しさを忘れた。
 ある日、千代がいつまで経っても帰らなかった。辺りは何時の間にか、薄暗くなっていた。私はいつも遊びに行く空地や友達の家、その庭先や裏の川原を探した。姿は見当たらない。次第に不安になった。その時隣家の小父さんが「駅前で見たよ」と言い「汽車を見に行ったんとちがうか」と教えてくれた。
 私は駅前までの道を急いだ。入り組んだ道を、迷子になったのではないか、千代の小さな足が今も駅に向かって走っているように思えてならなかった。結局姿を見つけることができず、家に帰ると千代は、飯台の前にちょこんと座っていた。私は強く叱り、一人で行かないように言いきかせた。それでも分かったのか分からないのか、二度三度同じことをくり返した。
 その日も千代は帰らなかった。私は駅前の公園へ急いで行った。公園には汽車がよく見える場所があって、線路の周囲まで背の高い草が生い茂っている。
 千代はその前にある柵に、しがみつくようにして汽車を見ていた。汽車は白い蒸気を立てていた。線路の向こうは茜色で、青味を帯びた黒い山がせまっている。ホッとしたのも束の間、汽笛がきこえ、私は一瞬怯んだ。汽車がゴトンゴトンと音をたて動きはじめた。その時だった。千代が柵を潜り草地の中へ駆け出した。動く汽車を追う。彼女の足は速く汽車は速度を増していく。草の中を掻き分けて行く汽車が、連れ去っていくように思って、バカバカ!と叫びながら、私は後を追いかけた。やっと追い着き千代の体を乱暴に掴んだものの、草の波に足を絡めて、二人でもんどり打った。泣きべそをかく千代は一枚の紙をしっかり握っていた。くしゃくしゃになった紙には絵があった。それは私が描いたもので、「この汽車に乗って空へ行けば、お母さんに会える」と話しきかせた空へ登る汽車の絵だった。

 空は晴れ渡り、ゆっくり雲が流れている。五月の風は心地よかった。
 妹の娘あやが結婚式を終え、新婚旅行へ旅立った。電車を見送った後去りがたく、私と妹は駅前の公園に立ち寄った。二十年数年ぶりに訪れた公園は昔のままだった。遊具が増え、周囲を背の高い木々が取り囲んでいたが、フェンスの向こうの草地は変わらず、今日も草が青々と茂っている。
「いい式だったわね」
 私はあやが、両親に述べた感謝の言葉の一部を思い出していた。
――お母さん今まで、我がままいっぱいだった私を見守り伸び伸びと育てて下さって有難うございました。それでもお母さんの言うことが聞けずに反抗することがありました。その度にお母さんが「私は幼い頃から母を知らないから、あやをどう育てていいか分からない」と悲しそうに言っていた言葉を、忘れることができません――
 妹はフェンスにしがみつくようにして草地を見ていた。その背中にふいに昔のことが浮かんできた。振り向いた妹に汽車の話をした。
「憶えている?」
 妹は首を横にふった。
「・・・・・・ただまこちゃん(妹は私をこう呼ぶ)が描いてくれた絵は記憶している。空に向かって走っていく汽車」
 妹の目に涙があふれた。
 その時汽笛が鳴り、電車が動き出した、私達は並んでそれを見た。澄んだ空に、山波が日の光で輝いている。スピードを増した電車はどんどん進んでいく。それはまるで高く広い空へ吸い込まれていくように見えた。


コメント

大嶋まき

小さい頃の妹、成長してからの妹さんとの関わり、気持ちが、「空へ登る汽車」に凝縮されて、心に
残りました。時間の経過、人物、情景、会話、バランスがよく、いい作品ですね。タイトルもすてきです。私も文学に興味がありますので、刺激になりました。他の作品も読みかけたのですが、長くなるので感想はまたいずれ。
(息子さんのウタビさんから、サイトを教えてもらいました。)

2016.10.23

真美

主人公にとってはトラウマに近い汽車の姿と音。
反して、妹の千代は汽車が大好きだった。
主人公は、現実に苦しんでいる母親を思い出す、重苦しいものが、妹にとっては、大好きな母親の元に連れていってくれる夢の乗り物だったのだろう。
文章は短いが、姉妹それぞれにとって深い思いを端的に表現した素晴らしい作品だと思う。

2019.01.17