ずいぶん前の話になる。 

 あれは私が育児に明け暮れしていたころだから、かれこれ十七、八年前になるだろうか。 

 文違弘志さんに偶然出会った。偶然の出会いと言っても、彼に面識があるわけでもなく、住所も知らない全くの初対面だった。 

 けれど後になって思うと、この出会いはまるで目に見えない糸で引き寄せられたのではないかと思えてならない。 

 

 当時私は子供向けの影絵劇に関わっていた。子供が小学校に入り、時間に余裕が出来た主婦達で作ったグループで、週一回公民館に集まり創作した。 

 民話、童話を主に、歌も創り演技の訓練をした。暗くした部屋の隅に大きいスクリーンを置き、後ろで人形を動かす。台詞に合わせて動きに表情がでるよう工夫する。背景の山や海や森、家の絵を描き、切り抜き、色をつける。木々の幹、葉の一枚一枚にも細やかな線を描き光をあてる。それらが暗い部屋の中で音楽と混じりあって浮かび上がると、幻想的なシルエットとなって子供達を夢中にさせた。 

 子供向けに、一年に一作品を作るのがやっとだったけど、評判を呼んで講演依頼が絶えなかった。 

 秋は特に多かった。

 十月半ば子供会の公演依頼があった。

 私達は「エルマーの冒険」と歌三曲を持って出かけた。

 すでに暗幕が引かれ、部屋に二、三十人の子供が集まっていた。

 劇は進んでいった。最後の場面が浮かび上がる。青い海の大空にエルマーが竜に乗り飛んでいる。「高いね!広い、広い!」とエルマーが叫ぶ。シーンとした場内から子供達がエルマーの姿を目で追っているのを感じる。 

 次は歌だった。「小さい秋見つけた」の澄んだ歌声とともに雑木林を少年が歩いていく。パラパラと赤く色づいた葉が舞い散る。「だれかさんが、だれかさんが、小さい秋みーつけた」の歌が流れると、場内から歌声があがって合唱になった。 

 子供達が集中できるのは、せいぜい三十分。終えると場内が明るくなった。子供の笑顔が見える。嬉々とした声が聞こえる。私達のもっとも楽しい時だった。

 私達はスクリーンの前に立ち挨拶をした。 

 司会役の芦原さんが、明るい声で子供達に話しかけた。その時だった。一人の少女が芦原さんの前に立ち花束を差出した。道端で摘んできたような可憐な花だった。

 「まあ!ありがとう。長く公演してきたけど、小さい女の子からお花もらうの、初めてよ」 

 芦原さんは本当に嬉しそうで、体を曲げてその子の耳元で名前をおしえてと言った。 

 「ひじかい・・・早苗」 

 女の子は、はにかんで答えた。 

 

 次の週、早苗ちゃんが私達の居る公民館の部屋へやってきた。一人で来たのを不審に思っていたら、慌ててやって来たお父さんの文違弘志さんが言った。何でも自宅で音楽関係の仕事をしている弘志さんは、公民館に用事があって早苗ちゃんと来たが、姿が見えなくなったと。 

 早苗ちゃんは、影絵に興味があるようだった。机の上の作りかけの人形にそっと触れたり、スクリーンに映し出された絵を見上げていた。弘志さんも同じように関心をみせた。 

 二人は次の週もその次の週もやってきた。私達は、いっそ団員になってくれたらいいのにと囁いていた。二人は少しずつ親しんでいった。 

 ある日、芦原さんが訊ねた。 

「文違と言うお名前、珍しいですね。お生まれはどこですか? 

「岡山の玉島にある、狐島です」 

「狐島? まるで童話に出てくるみたい。ほんとうにあるの、それにとても淋しい所・・・みたい。」 

 「ええ、島でなく地名ですよ。辺りは何もありません。昔、丘の上に結核療養所が有りましたが」 

 弘志さんは、少しいい澱み、それから遠くの記憶をたどるように話を続けた。春になるとなだらかな丘の裾野辺りに一面に桃が花をつけ、ブドウ畑の葉が茂り周りが一変する。療養所の裏に草の生い茂った空き地があり、ブナの巨木が辺りを覆い包むように立っている。そこから遠く瀬戸の海が望める。その眺めは何と言っていいか・・・。 

 芦原さんは興味ぶかげに耳を傾けていた。 

 私はそばで聴きながら、あっ  と胸の奥で声をあげていた。 

 弘志さんが何故あそこを知っているのか。どうして、なぜとの思いは、私の記憶をよび戻した。 

 あのブナの木がある場所は、私には忘れることができない所だった。 

 看護学生だった頃、私はこの結核療養所が学びの場だった。看護学は私が望んだものではなく、家庭の事情でやむなく決めたものだった。 

 私は看護の勉強に気持ちが向かず、力をいれようともしなかった。ここを抜け出したい、他の仕事に就きたい、そればかり考えていた。 

 幼い頃母を結核で亡くし、その母の結核が感染して、少女時代辛い思いをした。苛めや休学、留年、学習につていけない辛さ、母の病気に関わる仕事は嫌だとおもっていた。そして今ここに居る。嫌でたまらなかった。辛くなると逃げ出すように療養所の裏へ行った。ブナの大きな樹の下にいると、ほっとした。太い幹に触れるだけで気持ちが和んだ。遠くに目を向けると瀬戸内海が見えた。水島の工業地帯が広がっていた。夜になると灯りが点き、数珠つなぎになり海に浮かぶ。それは天に登る橋に見えた。山育ちで広い空間を知らない私には、今にも駆け出していけそうに思えた。だがそれは夢で、すぐ醒める。  

 そんな時に、李圭明さんのバイオリンの音を耳にした。 

 李さんは在日朝鮮人で、比較的軽い病状の人が住む別棟に居た。同胞の人は他にも数人いて、彼らは片言の日本語で話し優しかった。けれど話が食い違うと、激しい怒りで荒れ狂い、病室いっぱいに声が響き渡ることもあるのだ。その落差が私は怖かった。 

 李さんは穏やかな人だった。どこか飄々としていて、三十歳に近いはずなのに、ひどく歳とっていたり、少年のようにも見えた。 

 ブナの木のそばの空き地の草陰で、李さんはバイオリンを弾く。私は澄んだ音色に気持ちを奪われていた。曲の名はわからない。悲しみに満ちた調は身体の隅々まで響き胸がふるえた。 

 李さんの聴かせる相手は、海の向こうの故郷だった。眼差しは真っ直ぐ前を向き、ときおり、弦を休めて大きく息をする。そして再び鳴りだした調は激しく振るえた。その様に、調べに、私はずっと惹かれていた。 

 やがて、李さんは私の姿を目にしてくれる。言葉少なく、唯ただ弾き続けてくれる。私の頑なな気持は少しずつほぐれていった。いつしか、ブナの樹の下で聞くバイオリンを、私のためのコンサートと勝手に名づけ楽しんだ。勉強に向かう事が出来た。 

 その李さんが、ある日、突然逝ってしまう。 

 大喀血による窒息死だった。 

 私達学生は、定期的に夜勤看護師といっしょに当直をする。その日は私の当番の日だった。消灯を終え少しほっとしていた時、下病棟のブザーが激しく鳴った。あたりは誰もいなく私は急ぎ病室に駆けつけた。すでに李さん胸のあたりは血で染まり喉を掻きむしっていた。私は足がすくみ、身体が動かない。頭が真っ白になって震えていた。その私の手を李さんが強く握った。そして息絶えた。あまりにも大きな衝撃に、前後の事は覚えていない。ただ、握られた手の痛みが残りつづけた。それは李さんが苦しさや恐怖のためではく、喉まで出かかっている言葉を、伝えたくて握ったのではないかと思えてならなかった。 

 

 まるで私にこの日を思い出させに来たかの様に、次の週から文違さん親子は姿を見せなくなった。私は少し心配した。父娘だけの生活に起こるであろうあれこれの事情に想いを寄せた。皆も、残念ね、仕方ない、といい少しずつ忘れていった。 

 次の作品に取りかかった。「人魚姫」と決め役割を振り分け組み立てていく。 

 十一月、十二月と過ぎ正月を迎えた。 

 明けて一月中頃、私たちは久しぶりに集まった。三月には公民館の録音室を借りてミキシングをする。人形の動きに合わせて台詞と効果音をまとめて、一つのテープに作り上げるためだった。その日までに劇を仕上げていくのが恒例だった。 

 大方出来上がっていたが、音楽を担当する百瀬さんが溜め息をついた。人魚姫が泡となって消えていく場面の音楽が決まらない。 

 「ここは悲しい事だけど希望なの、空に向かっていく無垢の心という・・・」 

 百瀬さんは困りまた溜め息をつく。あまり凝りすぎるのよ、アイデアは雑然としたとこから生まれるのよ、と皆が茶々を入れる。それでもそこが百瀬さんの良いところだけどと持ち上げもする。実際、音楽関係の店を何軒も梯子したり、良い曲があると直ぐ聴き取りに行く。落ち葉の場面など雑木林に出向き音を収録する等の凝り方は、いい結果を生み「鶴の恩返し」の影絵劇は大阪の「奨励賞」を受けた。 

 

 二月の末、文違さん父娘が姿をみせた。 

 弘志さんは少し頬が痩けていた。早苗ちゃんは顔色もよく元気そうだった。早苗ちゃんが喘息の発作を繰り返し、入院していたと聞く。 

 「今日、来て頂いたのは私がお願いしたの」 

 と百瀬さんが言う。困り果てたあげく弘志さんに音楽の相談をし、大方のところを担ってもらえるという事だった。 

 願ってもないことだった。 

 三月の録音の日、外はみぞれ混じりの雪が降っていた。早苗ちゃんは厚手のコートを着、弘志さんはバイオリンを持ってやってきた。 

 リハーサルを始めた。私は弘志さんの横に行く。バイオリンを弾く指先から目が離せなかった。 

 曲は静かに、ときに強くあたりをつつんでいく。私達はその流れにあわせるように台詞を入れていった。 

 緊張の間に、録音はスムーズに終わった。 

 弘志さんはほっと息をつき、バイオリンの弓の張りを緩めた。机の上に置いてあるバイオリンケースを引きよせる。蓋を開けた時ケースの横に書かれた氏名が、私の目にはいった。「李圭明」 

 私の胸が音をたてた。 

 

 弘志さんはロビーで休んでいた。早苗ちゃんは窓の傍で雪を見ている。 

 私は弘志さんの側に行った。胸の鼓動は速まっている。勇気をだして李さんのことを訊ねた。 

 弘志さんは、少し間を置き、宙を見て黙りこんだ。それからケースを愛しそうに摩りながら「父です」と言った。弘志さんが幼ない頃結核療養所で亡くなる。その後母の姓を継いだ。父は昔オーケストラでバイオリンを弾いていたと、弘志さんはとつとつと語った。 

 私は鼓動がおさまったものの、少し息を整え、ブナの木の辺りで李さんに聴かせてもらった音楽のことを話した。それが何れほど慰められ勇気づけられたか。 

 「そうですか、父はバイオリンを弾いていたのですか」 

 弘志は何度も言った。同じ音楽を志す者として弾き続けることは心の安定を意味するのかもしれない。 

 けれど、李さんはバイオリンに向かうことはなかった。 

 次第にお酒に溺れていく。飲酒は御法度だった。即、強制退院を意味する。そうして追われた人が、何度も療養所に帰ってくる。そして地下室行き。 

 療養所の地下室に狭い空間があって、長い療養に空虚となり倦み、投げやりになった人の吹きだまりのような場所があった。煙草、花札、麻雀、なんでもあった。 

 彼らをそこに向かわせる原因は、いくらでもあった。 

 退院する人はめったになく、徐々に肺が蝕ばれ、一人ふたりと壁一つ隔てた向こうで亡くなっていく。治癒することなく何十年も過ごす。年老いた母親が背を丸めて見舞いに丘を登ってくる姿を目にした。いつ帰ってくるからわからない息子の為に療養所で賄いをしている女姓がいた。請われて家にいくと家財が整えられていた。私が花嫁候補とみられていたのだと知って、驚くより悲しかった。恋愛沙汰で、ブドウ畑で仲間同志でナイフを振り回す事も。 

 李さんもまた、回復が望めないくらい肺を侵されていたのだろう。朝鮮人であり日本人の妻がいて、弘志さんという幼い子がいたのだ。当時の私は何も分からなかった。 

 ただ、あの瞬間を憶えている。 

 午後の安静時間を過ぎると、検温といってバイタルチエックをする。もぬけの殻になったベッドの主を探しに地下室にいく。私はそこへ行くのが嫌というより恐ろしかった。薄暗く、もうもうと煙が立ちこめていた。ガチガチと麻雀牌が音をたてていて、いつもと違う澱んだ目付きやダミ声、まるでべつ世界だった。先輩看護師は、適当に記録すると言うけどそれができず、おずおずとそばに行った。それでも彼らは牌の手を止めて腕を差し出てくれた。顔が合うと照れたように背向けるのにほっとして、私は急いで脈を測り検温版に書き込んだ。李さんの手を取る。細く白い指の根元の脈が、どくどくと打っていた。私は思わずその手を引っ張って、ブナの樹の下へ行きたい衝動に駆られた。 

「父は、苦しんで亡くなったのでしょうか」 

 弘志さんが訊ねた。 

「・・・・・・」 

「もしかして、そのあたりの事をご存知かと・・・」 

「いいえ、穏やかに、息を引き取られました」 

 私はもっと、もっと嘘をつきたかった。元気な頃の李さんはバイオリンを片手に皆に聴かせていた。ミニコンサートを開き楽しんだこと・・・等と。けれどそれを引き出せる物は、何もなかった。 

 ただ、ひとつ有った。李さんが亡くなったあと部屋に行った。すっかり片づいた部屋はまるで、前から誰もいなかったようにがらんとしていて、胸が痛かった。私は何か残されていないかと、周りを探しに回った。そして引き出の中から、一枚の楽譜を見つけた。私はそれを折り畳みポケットに忍ばせた。何時かどんな楽器でもいい、弾いてみたいと。その楽譜も度々の引越しで無くしてしまった。 

「おとうさーん!」 

 窓際で雪を見ている早苗ちゃんが呼んでいる。 

 弘志さんはすぐいくよというふうに手を挙げた。 

 私はさきほどの、ミキシングの感想を述べた。いつもは音楽の寄せ集めで、調和に欠ける。今日の音は自然で、曲が流れているのに辺りに溶け込んでいる。人魚姫が泡と消えるシーンは、百瀬さんが望んでいたように無垢の魂が心に響く。劇を観る子供達の、キラキラした瞳が思い浮かんだ。澄んだ透き通る音が何よりいい。 

「あの曲は、弘志さんの怍曲ですか?」 

「ええ、私というか・・・」 

 弘志さんは言いよどみ、父のものでしょうかと言う。 

「李さんの?」 

「父は曲を残していました。それほど多くありませんが、それを私が編曲したもので」 

 そうだったのか。李さんと弘志さんの合作。私は胸が熱くなった。 

「おとうさーん、おとぅさぁぁー」 

 また早苗ちゃんが呼ぶ。よほど雪を見せたいらしい。 

 では、と行きかける弘志さんに、次の公演には早苗ちゃんと三人で演じたいと声をかけた。「ええ、是非とも」そう言って頭を下げ、弘志さんには足早に行った。 

 

 玄関に出ていく二人を見送る。早苗ちゃんがちょっと振り返った。私と弘志さんを巡り会わせてくれた天使さん。私はそうつぶやき手をふった。 

 


コメント

真美

バイオリンを通しての父子との不思議な縁(えにし)を感じる作品です。
これまでの作品を拝しても、著者が看護の他にも教育的なお仕事に携わり、それが作品の幅を広くしていることが感じられます。
舞台で花束を渡した早苗ちゃんの優しさから、子供の純粋な心を汲み取られる著者の優しさが伺え、また、療養所での李さんとのバイオリンを通しての交流、そして、その息子さんとの縁ある出会い…人との出会いを大切にされる著者ならではの作品だと思います。

2019.01.17