桐野さんがさっきから私に話しかけている。目が定まらず時々を鉛筆を持つ手を、ノートに向けるが、一字も書けていなかった。「それで・・・」と言い桐野さんは肩で息をする。目の下に隈ができていて、憔悴は先週よりも進んでいるように思えた。何度も聞かされた話だ。長い夫の介護や、亡くなった後の寂しさなら分かるけど、奇妙な話は本当?と思えて、ついつい軽く頷くだけになってしまう。

「先生、これでいいの」

 窓際に座っている西山さんが私を呼んだ。

 私は桐野さんに断って西山さんの傍にいく。公民館の二階にある「読み書き教室」の外はすでに暗く、開け放した窓から九月の快い風が入ってくる。

 西山さんのノートを覗くと、丸い大きな字のカタカナが並び、サ行のシで止まっていた。「ツ」ト「シ」の点の使い方が解らないようだ。繰り返し説明してきたのだが、私は丁寧に指導する。ひらかなの五十音も三ヶ月かかって覚えたが未あやふやだ。

 西山さんは六五歳まで文字を全く知らなかった。

 若くと言っても、なんとか大学を出てアルバイトで食いつないでいる私には、字を知らない人生は想像も出来ない。西山さんを見ていると、字を知らなくとも生きてきた強さと、知らないために限られた場所で生きて行かなければならなかった辛さや悲しさが背中合わせに見える。

 西山さんは一字いち字書く度、「あかんわ、覚えが悪いわ、あほやから」と言う。そうして今まで生きてきたのだろう。けれど字を知ることでもうひとつの世界があることを知って欲しい。

 後ろの席で浅井さんが話しかけた。。彼女はちぎり絵をしていて仕上がり具合を見て欲しい様子だ。浅井さんは桐野さんの友達で、別に文字を知らない訳でなく、市の広報誌が出している「読み書きにふじゅうしているひとはだれでもさんかできます」という文言にひかれて来、居心地がいいのか通っている。桐野さんはきれいな字を書きたいと硬筆をつづけている。

 教室の中ほどで、中国人講師の鄭さんと医学の研修生の王さんが中国語で話している。鄭さんは日本人に混じって会話をするように推めるのだが、王さんはめったに私達の輪に入らない。それでも日本の医学の難しい漢字があると、私には聞きにくる。

 今日はベトナムのグェンさんは来ていないなと彼の席を見る。グェンさんは工業機械の扱いを学ぶため、工場に住み込んでいるのだが、職場の関西弁になじめず、関西弁の辞書なるものを携えて来た。私はこんなものがあるのかと驚き、何度も言葉の意味を聞かれ、その熱心さに自国の生活の逞しさを知る。日本人が忘れたエネルギーだ。

 インドネシのアグスさんは一時帰国している。

  だんだん国際色豊かになる。これを見て「読み書き教室」の創始者の早坂さんはどう思うだろうか。

 大学を卒業間際、私は鬱に罹った。眠れず食欲はなく鬱々していて、何も出来なくなった。もともと対人恐怖のようなところがあって、人前に出ると緊張する。思うことの半分もいや殆ど表現できない。やっとの思いで心療内科を訪ねたが、薬だけの治療で良くならず悶々としていた。

 地方の町で、父の死後残されたわずかの財産と年金で暮らしている母の事を思うと、何とかしなければと、すがる思いでアルバイトをし、好きな文章を書いていた。その文章を目に留めた市職員の早坂さんが「読み書き教室」の講師にと声をかけてくれた。

 教師の資格もなく、人前にに出ることが苦手な私に、教える事ができる訳がない。けれど、書く事の楽しみは伝える事ができるかもしれない。そう言うと、彼はそれで良いと言う。それまで早坂さんは、何度も教室を開くが続かなかった。その思いがあるのか、小学校の先生と二人で自由にさせてくれた。

 文法などより、生活根ざし言葉を拾い上げ、話に耳を傾け文章にした。まるでよろず相談のような場になったけど、やがて評判を呼び、市の広報誌に取りあげられ、生徒は増えた。講師も二人増え賑やかなったけど、もともとマンツーマンで対応していたため、しだいに落ち着き今に至っている。

 桐野さんの姿が見えなかった。ため息をつき事務所にいく。

 後任の恒川さんは定年まで後のわずかで、無事に終わりたいと思うひとだからあまりはめを外さないようにと、早坂さんが私にやんわり注意をした。その恒川さんが欠伸をしながら書類を整理していた。

「桐野さんが居ませんけれど、帰られたのかしら。声かけがありましたか」

「いえ、なにも」

 恒川さんが不審そうな顔を向ける。

 そうですかと、事務所を出て行こうとする私を、あのう先生、と追いかけてきた。」

「先生あの人・・・ちょと・・・大丈夫ですか」

 痩せてきた、顔色が悪いわ、目がうつろだ、何起こされては困る。恒川さんはそれが心配なのだ。

「ここに、来られている。話をしている、それだけでも大丈夫だと思いますけど」

 実際、私はそう思った。そして少し不安もある。恒川さんに、桐野さんが私にめんめんと話し聞かせる内容を伝えたどう思うだろう。桐野さんは一カ月前から自分の部屋に誰かが生活をしていると言う。六畳と四畳半のアパートだ。私はまさかと思うけど、桐野さんの怯えた顔ををみると無下に否定することも出来ず、耳を傾けていた。いやむしろもっと聴かなければと思っていた。先ほどは二人の講師の欠席のため時間がとれなかったけれど。

 桐野さんの話はしだいに現実味をおびてきた。ご主人が亡くなった後の一人暮らし。着物の仕立ての仕事ができるので、パートに出ている。その留守の間の出来事らしく、醤油の量が減り、マヨネーズのキャプが開き、バターも削り取られてる。それらが一度に起こるのではなく、教室に来るたび私にだけ話す。誰にも聞かれたくないように細く囁く。浴槽の石鹸に髪の毛が付いている。電気の使用量もチェックしている。出かける前にブレイカーを落とし、帰ったら上げるなどと聞かされると半信半疑になった。けれど話を止めるわけにはいかない。止めると、桐野さんはスーと立って姿を消してしまいそうに思えた。

 教室を終えると私は、浅井さんとバス停まで帰ることにした。浅井さんは小柄でいつも笑っていて優しい。亡くなったおばあちゃんをおもいだす。

 私は桐野さんの事が心配だった。教室に来る気力をうしなって欲しくなかった。たとえの字や文章が書けなくとも、おそらくだれも信じないだろう話を吐き出すだけでもいい。

 夜道は少し肌寒かった。浅井さんはまるっこい体に薄いカーディガンを羽織っていた。並んで歩きながら、桐野さんのことを話した。あの奇妙な話ではなく元気がないことを。

 朝生さんも様子が気になっていたらしく、友達といっても「読み書き教室」で出会ったので、それほど親しいわけではないけどと、前置きをして話してくれた。

「近頃言わなくなったけど、前はよく話していたねえ。ご主人の介護、脳梗塞の後手足が動かなくなって車椅子生活。八年間苦労したというより支えだった見たい。よくわからないけど罪滅ぼして言ってた。亡くなった後は気がぬけて、ぼんやりしたり苛立ったり、近所の人ともよくもめていたみたい。ゴミを出したとか、言った、言わないとか、いっそ引っ越ししたいとも。それで気持ちを変えるため、働きに出、教室にも行く気になったらしいね。」

「お子さんはいらっしゃらないのですか」

「いるみたい、娘が。でも仲が悪く行き来ないようよ」

 浅井さんは別れてバス停に向かいながら考えた。あの奇妙な話は、桐野さんの不安定な生活から出た作話だろうか。作話とは精神科で使われる専門家用語で、自己の世界で記憶や出来事を作り上げると言う。

 鬱状態の時、私は手当たりしだい精神科の本を読んだ。被害妄想、強迫観念、健忘、不安、パニック、どれも当てはまる、けど違う。その向うに精神科に入院と暗イメージ思い浮かべ、苦しかった。

「読み書き教室」は週一回木曜日に開く。次の週、桐野さんは少しだけ姿を見せ直ぐ帰った。言葉を交わす間もなくで、浅井さんに様子を訪ねた。飼っている犬が気になったらしいと言う。誰が部屋入り変な物を食べさせたり、連れ出すわけでのないのに、と浅井さんは小首を傾げた。

 三日後、桐野さんは私の家を訪れた。芝生の向う古びた門扉の前に立っている桐野さんの姿を目にしたとき、私に胸にざらりとした嫌なものが過ぎった。出向いた私が目にしたのは、両肩に大きな袋を提げて惚けたように上を見上げている、生気のない桐野さんの顔だった。九月半ばで、昼でも真夏のような暑い日が続いているのに、厚手のカーディガンに靴下も着けている。

 私の家は交通の便が悪い場所で、桐野さんの家からも遠い。訪ねて来てくれたことをうれしく思い声をかけたが。桐野さんは二階の窓辺りに目を向けたまま動かない。無理もない。家は古くただ、だだ広いだけの屋敷を思わせる。亡くなった叔父が残したもので、何度も取り壊し処分をしょうとしたのを、趣だあるのが気に入って頼み残してもらった。趣を同じくした人が、下宿したことがあるが、交通の便がの悪さから今は誰もいない。

 私は安心するよう言い招きいれた。かすかに震えている姿も気になった。

 居間は広く隅にソファーがある。そこに座ってもらい、熱い飲み物を勧めた。レモンをたっぷりいれた濃いめの紅茶を。桐野さんはゆっくり飲んだ。やがて暖まったのかカーディガンを脱ぎはじめた。寒いのは何も食べていないせいとわかった。つぎに靴下を脱ぐ。細い青白い足だった。花柄の少し若すぎると思える私の靴下を履いてもらった。桐野さんは「有り難う、きれいな色」と気に入り、少しずつリラックスしていった。ゆっくり話をした。ほとんど我が家の話だった。

 やがてここに来たことを思い出したように、手元に置いていた紙袋から、大きな風呂敷包と、大学ノートを取り出した。

「預かってほしい。大切なものなの、家に置いておけない」穏やかになりかけた表情を一変させ、置いていった桐野さんの紙袋。包の中の物は何なのか、何が書かれているのか問う事はできなかった。ただ預かる以上は確かめない訳にはいかない。後で見てほしいと言っていた。

 風呂敷の中には、着物がある。男の子の袴とその下に着ける、白地に濃い青い模様の絵柄の着物。七五三のお祝いに着たのだろうか。後の三枚は大島紬と、結城紬だろうか、母がよく着ていた明るい色が似ている。その下には黒い羽織があった。どれも桐野さが仕立てたものかしらと、結城紬の襟元あたりを見ると、一枚の写真が挟んであった。桐野さんと並んでいる男性は、ご主人だろうか。紬を着た桐野さんはとてもきれいで幸せそうだ。裏を見ると並んだ二人の名前だけがある。

 ノートを見る。日記のようだ。日付を追うと毎日書かれている。始めの頃は、短い言葉で、、大根を煮た、少し酒を加えると美味しかったなどこまごましたことが書かれた。次に犬の散歩、仕事で疲れていたけど友達にお礼の電話をするなど、穏やかでつつましい日々を感ずる。

 ノートの裏を表紙には住所録のようにメモがある。赤く丸で囲んであるのは、娘さん夫婦の住所とお孫さんの預金番号。そこに決まった日に預金とある。

 日を追う。少しずつ生活のことが消え、前に私に話して聞かせたあの奇妙な話が書かれ、桐野さんの怯えや不安が見て取れる。時折、外で痰の絡んだ咳が聞こえる。好んで着ていカーディガンがなくなった、盗られたあるとこなど妙にリアリティがあって、桐野さんの作話とは思えない。

 けれどこの風呂敷包、ノート誰が盗る?やはり妄想?分からなかった。ただ、せっぱ詰まった不安はよくわかる。もしかして私に預けたのは、私に解って欲しいと思ったのかもしれない。

 ノートを紙袋にもどす。そのとき袋の底に小さなノートをみつけた。大学ノートに挟まれたいたのが抜けおちたのだろう。パラパラとめくる。介護のようすが書かれている。メモのようにも見える。胸をうつ。少しずつ死が近いのだろうか、夫の息づかいを感ずる、食べたもの、量、吐いた、瞬いた、宙に窓の外に目を向ける。そっと身体を起こし支える。夜目覚めると、乱れた息の合間から何か言いたそうな頬に耳を寄せ聴く等と、乱れた字が並んでいた。

 次の週、桐野さんは教室に姿を見せなかった。

 自宅に電話を入れるが誰も出ない。翌日の夜また入れるが出なかった。浅井さんに連絡を入れ様子を見てほしいと伝えた。浅井さんは折り返し返事をくれ、家の側まで行ってみたが、明かりも消えていて人の気配はないと言う。心配はつのる。預かりものを置いたまま何処へいったのか・・・。娘さんのところだろうかと思い、電話の受話器を取ったが直ぐ止めた。何と話せばよいのか、会ったこともない、それに浅井さんの話では関係がよくないと聞いている。

 次の日、私はむすめさんに会いに行こうと電車に乗った。

 電車は空いていて隅に座る。膝の上には紙袋があった。桐野さんが置いていった預かり物だ。渡して良いものかどうかわからない。そのときの様子を見て渡そうと思った。

 娘さんの家は二つ駅の向こうの町、バスで十分程の団地側にあった。

 三階建てのコーポラス一階隅の部屋の表札を見る。安田とあり家族の名前が並んでいた。紀代さんが娘さんの名だろう。インターホンを押す。返事がない。横に庭があるのでそちらを見ると三輪車と、砂場にスコップが転がっていた。

「はーい」と可愛い声がしてドアが開き、男の子の顔がのぞいた。突然の訪問で留守かもしれないと、男の子の頭越しに奥をみる。玄関横にダンボールが積み上げてあり雑然としていた。

「洋介!勝手に開けていはけないと、いってたでしょ」

 乱れた髪にチーフを巻き、三か月くらいの子を腕に抱えた女性が出てきた。目元が桐野さんに似ている紀代さんだろう。

 私は若野と自分の性を言い、突然の来訪の詫び、桐野さんとの関わりを話した。そして欠席が心配だったことを告げる。

 紀代さんの表情が強ばった。少し考えるふうに黙ったが、ぐずつく子をあやしながらスリッパを揃え奥ヘ通してくれた。

 子供をベビーベッドに寝かせ、おかまいなくと言う私の言葉を遮り、紀代さんはお茶の用意にたった。私はそっと周りを見る。八畳ほどのリビングに隅に荷物が、ダンボールが、ここにも。引っ越しだろうか。ベッドの側で遊んでいる男の子と目が合った。にっこり笑う。

 紀代さんはお茶を切らしているのでと、ペットボトルから注いだお茶を私の前に置いた。黙ったままだ。頭の中で何か交錯している様に見える。私はおもいきって紙袋から風呂敷包を出す。預かった時の様子を話そうと思った。

「これ!です」

 風呂敷包を手にし中を見た紀代さんの声が裏返った。

 紀代さんの話によると、桐野さんはこの風呂敷包、着物が無くなった、盗られたと大騒ぎしたらしい。それは大変だったらしく、近所の人の知らせで駆けつけたときはぐったりしていて、紀代さんの言う事も聞き入れず二人の間でいざこざが起こり、紀代さんは悲しみより腹立たしかったと言う。

「今、桐野さんは何処に?」

 私が訊ねるとと、彼女の表情は悲しげにかわったが、すぐ硬さをみせ病院に居ると消えるような声で話す。よく知られた精神科だ。

 私は言葉がなかった。二人とも黙り、重い空気が漂う。

 あたりをそっと見、取り込み中だからと立とうとした時、男の子が「お父さん仕事やめたの」と言った。紀代さんがたしなめる。

 これを機に私は玄関にむ向かう。紀代さんから風呂敷包を渡してほしいと、桐野さんも私のことを覚えているはずだからと告げる。

 玄関の扉に手をかけた時、後ろから追ってきた紀代さんが「これ、先生、いえ若野さんから、母に渡して下さい」と風呂敷包を私の胸に押しつけた。私が戸惑っていると、紀代さんは強い口調で言った。「母は罰があたったのです。幼かった私と父を置いて、男の所に行きそして父が倒れると、悪かったとばかり帰ってきて父を看ました。父と私の悲しみがまるで無かったように」

 その夜、私は眠れなかった。

 台風が近いのか家が揺れている。風が窓を叩き、ゴンーゴンーと何か壁をうつ音がする。とれかかった樋かもしれない。

 紀代さんが言った罪と言う言葉が頭から離れない。桐野さんにとって夫より、子供より大切なものは何だったのだろう。明るい紬の着物に帯を締め、並んで写っていた男性との姿が浮かぶ。桐野さんのあの笑顔はとても幸せそうにみえたけど、倒れた夫の事のことを思い揺れ動いたに違いない。ノートの被害、妄想、作話など心の奥底にあるおもいは形を変えて脅かす。思いのまま、素直に生きることはそれほど罪をうけることなのか。

 下宿していた精神科のお医者さんが言っていた。。彼は一度会社勤めをしていたけど医師になりたくて精神科医になった人で、精神を病んで来る人は繊細で、真っ直ぐで本音と建前を使い分けることができない、抱えきれないものを病院にあずけにくる。だから病気になる事で救われる。リセット出来るのだと。

 風はますます強くなる。壁を打つ音が、それは誰かが外で戸を叩き呼んでいるようで怖い。

 私は膝を抱朝方までうとうとした。

 台風一過、外は晴れ渡り空気が澄んでいた。。庭は無惨であちらこちらに木々の葉が飛び、鉢が転んでいる。葉を掃き集め、鉢をなおし、音を立てていた樋を確かめた。郵便受けを覗いた。

 葉書がきていた。西山さんからだった。ハネ曲がったり、丸や点が大き小さくなった不揃いの字が並んでいた。「せんせい、はじめててがみをかきます。みちをあるいているとじが、たくさんみえるようになりました。かんじがあるととばしてよみます。ゆっくりですがわかります。ではさようなら。」と書かれている。私はおもわずその葉書を胸に抱いた。離したら感動が逃げてしまいそうで、そのまま家もどり居間のテーブル横に置いた。

 そこには桐野さんから預かった風呂敷包みもある。

 コーヒーを淹れソファーで飲み、しばらく二つのものを見る。ゆっくり立ちあがりカレンダーの前に行った。二週間後のアルバイトのない日を選び、金曜日に丸を付けた。

 桐野さん見舞おう。そして風呂敷包みを預かっていますよと伝えようと思う。

 二週間後の水曜日、紀代さんから電話があった。桐野さん退院したと言う。電話口の紀代さんの声はどこか涙声だった。

「・・・よかったですね」

 私はそう言ったまま、次の言葉がでない。元気なのだろうか、あのまま他の世界に行ってしまったのだろうか、いつもの生活もどれるだろうか。その疑問に答えるように「今、洋介と遊ん遊んでいます」紀代さんはそう言い声詰まらせた。元気な桐野さんの姿が目に浮かび「よかったですね・・・」私は呟いた。

「あの・・・・ノートのおかげです」紀代さんは言う。ノート?ああそうだあの日、私はテーブルの下にそっとノートを置いてきた。私が持つべきではない、紀代さんの元に置くものだと。

 紀代さんは黙ったままだった。泣いているのかもしれない。

 私はカレンダーに目をやる。

「・・・あの・・風呂敷包、そちらに送りましょうか」

「それ・・・あの先生、いえ若野さんから母い渡して下さい。母は「よみかき教室」に通うと言っています」

 通う?あの二つ向こうの駅から?けれど距離などどうでもいい、桐野さんが教室にくるというなら。

 「わかりました」と私が言うと紀代さんは「母がお世話になり有り難うございました」と言って電話をきった。気持ちがふっきれたよう穏やかな声だった。


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